「国際交流」というと、異なる国の人たちが向かい合ってお互いを理解し合う活動。「国際協力」というと発展途上国に行って技術指導など援助を行う活動…。今まで、なんとなくそんな風に自分でカテゴリー分けしていました。日高さんの話を聞いて、とても新鮮だったのは、彼らがやっていることは、そのどちらでもないと感じたからです。
中国でのハンセン病問題は、聞く限りにおいて、日本で起こった問題と酷似しています。治療が難しかった頃、隔離され、忘れ去られたハンセン病患者。中国でも、病気の治療法が確立された後も差別や貧困と闘いながら暮らしている元ハンセン病患者の村があります。日高さんは、NPO法人を立ち上げ、そんな村々を尋ね、短期滞在し援助活動をしながら村民と一緒に生活するという活動を行っています。今では、日本の学生団体を巻き込み、中国の学生を巻き込み、大きな活動へと進化しつつあるそうです。
講演の冒頭、日高さんはこうした活動を行っているきっかけを語ってくれました。日高さんが最初に中国に来た時、二人の中国人女性から声をかけられたそうです。二人は、田舎から都会に出稼ぎに来たが、頼りにしていた知人に連絡がつかず、帰るお金もなく困っていると訴えてきました。迷った末、日高さんはお金を渡してしまいました。周りの友人に話すと、それは騙されたのだ、と言われ更に悩みます。しかし、数年後、聞いていた彼女たちの田舎の連絡先に電話をしてみると、果たして彼女たちは無事に家に帰っており、その時のことを非常に感謝されたそうです。その時日高さんは、「自分が感じたことに従って行動することの正しさ」のようなものを感じたと言います。
私が感じた新鮮さは、まさにそこにあります。日高さんのような活動は、結局、「目の前で困っている人を何とかしてあげたい」という極めてシンプルでリアルな感情を理由に繋がっています。異国の人だとか、言葉が通じないとかは関係ありません。学生なので、指導する医療技術や土木技術もありません。ただ、行って、共に暮らし、何かできることがないかを考えながら進んでいく。そこには、国際交流とか、国際協力とかの看板を掲げた派手さはありません。でも、最後にはとても素晴らしい国際交流活動、国際協力活動となっています。
現在、グローバル化はどんどん進んでいて、国境の垣根も低くなってきています。また、ネットの発達でお互いの文化や歴史も知りたいことは簡単に調べることも可能になりました。これからは、互いを知るためだけの交流から、一緒になって何かの問題解決に取り組んでいく、そんなもう一段進んだ国際交流が増えていくのかもしれない、とそんな予感がしました。福岡と広州の間にもそんな交流が広がっていって欲しいと思います。 (by奥田)