‘☆日記’ カテゴリーのアーカイブ

肉まんを100個作りました

2013年12月11日 水曜日

プロの手並みを熱心に学んで今年の飲茶会は10月18日に行いました。

今回も料理作りは、福新楼の総料理長王和雄さんにご指導いただきました。

「手に入りやすい材料で、手軽にできる料理を」と王さんが考えてくださったメニューはチンジャオロースー、酢豚、エビチリ。それに私たちの要望で肉饅も。日頃作っている料理ばかりでしたが、王さんのご指導で新たなポイントがわかり、「さすが~!」と皆びっくり。目からうろこ状態でした。今後は家庭で応用できます!

肉饅は買い物担当者が「王さんからもらったレシピは5人分の量だから、参加者が25人で5倍ね」という計算で準備したので、5人分で20個できる肉饅を、100個作ることになってしまいました。蒸し器を総動員して蒸すのも大変でしたが、量的にも当然食べきれませんでした。

懇談会には西日本新聞社の高倉さんとボランティアで参加した中国人留学生2人が参加して、先日行われた「日中未来のこども100人の写真展」の報告をしてくださいました。残った肉饅はこれから写真展の事後打ち合わせのために集まるという関係者のために、お持ち帰りいただきました。

 

「九九登高~重陽節登山ハイキング~」を行いました

2012年11月28日 水曜日

中国では、秋の空気の清々しさを「秋高気爽」という言葉で表現します。そんな言葉にぴったりの天気に恵まれた10月13日(土)、福岡広州ライチ倶楽部では、在福中国人留学生などを募って「九九登高~登山ハイキング~」を実施しました。

場所は、西区叶岳。日本人12名、中国人14名の総勢26名で、一緒に叶岳を登りました。

 

 

山登り中は、日中混合メンバーでグループを6組作り、途中グループ対抗のゲーム大会も行いました。
同じ日中友好を願うもの同士、知り合えばあっという間に仲良くなります。ゲーム大会も大いに盛り上がりました。最後には、連絡先を交換し、次の約束を各々交わしていました。
今後とも、不定期でこのような活動を実施したいと思っておりますので、今回参加できなかった方は、是非次回を期待していてください。

この夏のイベント、まるごとご報告

2012年8月27日 月曜日

「第1回ライチ倶楽部 日中親睦ゴルフ会」が開催されました                                  7月1日、第1回日中親睦ゴルフ会が開催され、42人が参加しました。記念すべき第1回目の優勝者岡鉄夫さんには河部名誉会長から「名誉会長杯」が、李天然総領事から「総領事杯」が授与されました。

今年も「ライチ狩り広州訪問」を実施しました                           7月6日~9日、広州の増城でライチ狩りを行いました。今回のライチは格別甘く、田舎料理も美味しく、大好評でした。広州市内の新しい観光スポットも楽しめましたし、広州マフィアや婦女連の友人たちとの交流も大いに盛り上がりました。

                             

太宰府バスハイク                                                           福岡市内の企業でインターンシップ交流を下12人の広州の大学生を招いて、今年も太宰 府バスハイクを行いました。7月22日、すごく暑かったけれど、ライチ会員と広州の大学生が直接ふれあって交流することができました。

 

講演会「紫の花だいこんを中国大陸から伝えた人々」                                        8月19日、日中国交正常化40周年を記念して、我がライチ倶楽部が他の二団体と共催による講演会を行いました。“諸葛菜”とか“ムラサキハナナ”、中国では“二月蘭”、“紫金草”等とも呼ばれ、戦後日本のあちこちで見られるようになった可憐な花だいこんの伝来には、感動的な物語がいくつも残されています。その伝来ルートを長年にわたって調べた細川呉港氏を招いて、数々のエピソードを話していただきました。

飲茶会で震災救助技術指導の話をききました

2011年12月21日 水曜日

11月23日に第5回飲茶会を行いました。前回も1年前のこの日でした。狙ってそうしたわけではないのですが、会場を予約するのが難しくて…

今回は大連出身の山口恵さんを中心に、点心やキクラゲの料理などを参加者全員でつくりました。調理室の火力が思ったより弱くて“小籠包”がうまく蒸し上がらないなどトラブルもありましたが、そこは没問題!皆で工夫するのもまた楽し、です。美味しく、お腹一杯いただきました。

 今回は福岡市消防局の岸川大輔さんをお招きして、中国に約1ヶ月、被災者救援技術指導へいった経験談を話していただきました。

北京と広州へ行ったそうですが、広州での経験を主にしながらパワーポイントを使って分りやすく話してくださったので、日頃なじみのない世界の話も、皆とても興味深く聞き入っていました。

「孫文と広州」講演会

2011年12月20日 火曜日

 “辛亥革命100周年”は今年の大きなテーマです。記念行事として孫文と広州の関係を話して欲しい、という要望に応えて、「私がやりましょう」と手を挙げて下ったのは広州市外事弁公室の朱小燚副主任でした。                                      

 10月1日、会場のニューオータニ博多 羽衣の間は予想を超える参加者でうずまり、皆朱副主任が熱心に準備されたというパワーポイントの画面を見つめながら、流暢な早口の日本語による説明に聞き入って、あっという間に予定の1時間を25分ほど越えても気付かないほどでした。

 終了後には、同ホテルの地下1階“和多伴”で和やかに懇親会を行いました。

ライチ狩りに行ってきました!

2011年7月12日 火曜日

今年は江頭会長以下25人の適度なサイズの訪問団となり、天候にも恵まれて和気藹々、楽しいライチ狩り広州訪問ができました。
 辛亥革命100周年の記念年とあって、到着翌日は中山市へ孫文の故居を訪ね、その脚で世界遺産になっている華僑の故郷開平県の風変わりな建築群を見物しました。バスで2時間以上も走る今回のコース、普通ではなかなか行くことはありませんよね。
 

                  その日の夜は広州市外事弁公室主催の歓迎会に出席しました。かつて福岡で日本語の研修を受けた人々~福岡マフィア~も約15人位参加して、日本語で交流できたので、大いに盛り上がりました。
 日曜日はいよいよライチ狩り。郊外の増城市へ出かけました。増城といえば、6月に貧富の差への不満が爆発して暴動が起こったところです。実は出発前、「治安は大丈夫かな?」と密かに心配していたのですが、現地は平穏そのもので、そんなことがあったなんてすっかり忘れていました。
 今年はライチの当たり年。日本でも柿などが一年ごとに豊作と不作を繰り返すように、ライチも出来不出来が交互に繰り返すそうです。たわわに実った赤い粒が緑の葉っぱととても可愛いコントラストを見せています。ライチといっても50種類ほどあって、果肉の厚さや種の大きさ、酸味と甘みの具合やジューシーさ等に微妙な違いがあるのだそうです。ライチの樹の下では食べ放題ですが、袋にどっさり入れて持って帰るのは秤り売りで、皆10~30元ほど払って買っていました。
 今年はお天気に恵まれて、地面がぬかるむこともなく軽快に行動できましたが、ただ暑かった!
 この日の夜は女性の翼グループ15人は、団長一行と別れて広州市婦女連合会との交流会に出席したのですが、関会長は挨拶の終わりに「しかし、広州は暑いですねエ!」と言ってその場を和ませていました。

初級中国語講座がスタート

2011年6月29日 水曜日

今年度から始める新事業として「初級中国語講座」を5月24日(火)に開講しました。これは、ゼロから中国語の勉強を始める人を対象に、福岡広州ライチ倶楽部会員のボランティア講師(奥田)により、初歩的な中国語講座を学ぶというものです。

現在、受講者は14名、うち7名が福岡広州ライチ倶楽部の会員です。また、毎回中国人ボランティアがお手伝いに来てくれており、本場の中国語を生で聞きながら勉強できる贅沢な環境となっています。

  受講者の皆さんは、慣れない中国語の発音に四苦八苦していますが、それぞれ大きな声を出して一生懸命練習を重ねています。和気あいあいとした雰囲気で、皆さん楽しんでチャレンジしていらっしゃいます。また、年度の途中では、在福中国人を招いて交流会も開催する予定です。

 きっと来年の今頃には、簡単なフレーズを使いながら中国人と交流する受講生の皆さんの姿が見られると思いますよ。

広州人の春節のごちそう

2011年2月8日 火曜日

 今年の春節は2月3日。この日がいわゆる旧正月の元旦でした。中国では2月2日~8日の7日間が連休とされ、それぞれが故郷に帰ったり旅行に出たりしていわゆる民族大移 動現象が起こります。日経新聞の記事には「延28億人が大移動」という見出しが出ていました。その代わりに1月30日(日)と2月12日(土)は振替出勤となるのだそうです。  

 大晦日に当たる2月2日には一家団欒でご馳走を食べるのだそうです。麦食文化圏である北方では餃子がメインになるそうですが、長江以南の米食文化圏ではもち米粉で作る“年糕”(蒸し餅)が主役になります。全国各地にそれぞれの特色あるご馳走があるようですが、広州では家族そろってレストランで外食、という光景も多く見られます。

  広州の伝統的な春節の食べ物を調べてみました。一年中正月のようなご馳走を食べられるように なった今日でも、春節ならではの“点心”は各家庭で準備されるそうです。ここでちょっとご紹介 してみましょう。

1.煎堆:いわゆる胡麻団子です。糯米粉をこねて、中に餡を入れた物と、餡を入れずに空気を吹 き込んだ風船のような物の2種類があって、こんがり揚げた胡麻団子のきつね色を金色に見立て、 「団子がごろごろ、金銀が家中に」と言って、財録がもたらされることを念じた縁起物です。広州 人は漢方医学で言う“熱気が強い食べ物”として揚げ物を警戒するのですが、これを作るときは、 子供は揚げ鍋から遠ざけられ、一晩おいてよく冷やしてから食べるのだそうです。

2.年糕:もち米粉に味をつけて蒸し上げたもの。“年糕”の発音が“年年高昇”―年ごとに出世するという言葉に通じることから、一家繁栄の願いを込めて中国全土で春節に食されます。北方ではもち黍なども使い甘い味つけが好まれますが、南方には甘味塩味両方があり、広東地方のものはさらに特徴的で、“大根餅”“慈姑餅”“里芋餅”などハムや野菜を入れたものが好まれます。近年、これを魚の形に仕上げて“年年有魚”(毎年余裕がある)の意味も込め、年賀の贈り物にする人が増えているそうです。

3.油角:餃子の油揚げ。ピーナッツとゴマを砕いて砂糖に混ぜた餡を、小麦の皮で包み、油で揚げます。北国の人々の餃子作り同様、家族総出で小麦粉をこね、皮を作り、餡を包み…楽しみながら作るのだそうです。

4.蛋散:市販の餃子の皮のように薄くのばした小麦粉の生地を細く切ってひねり、油で揚げた物。胡麻入りの塩味と砂糖味の2種類あって、何れもサクサクして香ばしいそうで、崩れやすいので広州人は小心者、大事をなせない人を“蛋散”と呼んでからかったりするそうです。

5.糖環:もち米粉をこねて網状に仕上げた一種のかりんとうかと思われます。蛋散や糖環、西瓜の種や南瓜の種を綺麗な箱に入れ“冬果”として正月の間常備しておき、年賀の来客をもてなすのだそうです。

第4回飲茶会を行いました

2010年12月8日 水曜日

11月23日、勤労感謝の日に飲茶会を行いました。
 毎年2回はやりたいと思っているのですが、今年は行事が多くてなかなか実施できず、これが初めて。通算して第4回目となりました。
 今回は点心づくりの先生なし。「これまでの経験で何とかやってみよう」と、インターネットでみつけたレシピを見ながら、参加者の自力で点心づくりに挑戦しました。
 参加申込み者は39人。いつも余るので少なめに作ることにして30人分とし、4人分で紹介されている材料の分量を7.5倍しながら買い物し、それをメニュウー別に分けてみると、なぜか足りなかったり多すぎたり。???計算を間違えたのかなア???
 そういうわけで大根餅には分量の半分しか大根を入れなかったので、どんな物ができるかとても心配しました。しかも電機炊飯器が頼りなくて…。でも結果的には、ちゃんとできました。大根不足の味ではありましたが、それなりに食べられましたし。
 大根餅づくりを担当した男性4人は、料理の経験の少ない日本人と包丁を握ったことがないという広州人留学生でした。「中国人男性は皆料理が上手」と思っていたので、ビックリ。この面々に鬼おろしで大根を擦る代わりに包丁で細かくみじん切りにしてもらったのですが、初めはとても危なっかしい包丁さばきだったのが、終わる頃には随分上達して、スピーディになっていました。
 焼きビーフンを担当した男性は、家ではまったく料理はしないそうですが、1回目からずっと飲茶会で点心づくりに参加してきたせいか、とても手慣れた様子です。「女性翼の会」のメンバーが毎回全体をリードして下さっていますが、男女共同参画社会を目指す翼の会の主旨にぴったりの姿が、ここに見られるわけですよネ。
 できあがった点心と調味料の残りの(と称する)紹興酒・梅酒、そしてもちろんプーアル茶も食卓に並べて、6時半からは広州から来ている留学生6人との交流会となりました。後ろの壁には、奥田さんがダウンロードしてくれた広州アジア競技大会開幕式の映像を流していたのですが、話と食事に花が咲いて、誰も画面を見ていなかったようです。
 今回も料理がたくさん余ってしまいましたので今後はもう少し考えなければ。何れにしても盛況でよかったなと充実感を覚えながら家路につきました。

広州アジア大会の開幕

2010年11月17日 水曜日


 第16回アジア競技大会の開幕式が11月12日に行われ、27日の閉幕まで16日間、スポーツの祭典が繰り広げられます。私は福岡市の靏川副市長に随行して10日~13日の3泊4日で広州を訪問し、開会式に参加しました。

 開会式はやはりすごかったですね。 

                     水と火の祭典、という感じ。
 舞台が水の中だったり上だったり、乾いて水がなくなったりと変化するのに本当に驚きました。
 花火の数もハンパではなく、新設のテレビ塔から横向きに発射される花火ははじめて見ました。爆竹を好む民族ですから、景気よく鳴り続けないといけないのですよね。
お金かかってるなアという印象でした。

 今回広州の街を見て「綺麗になった」ことにとても驚きました。
 準備段階で何度も広州を訪問するたびに「街のお化粧をしています。」と聞いていましたが、本当に、古い街並も表が綺麗な壁に変わっていて見違えるほどでした。樹木も緑地帯も手入れが行き届いていて、ゴミはなく… 頑張ったんですね、広州は。

 これまで広州の発展の経過をずっと見てきた私には「集大成」という言葉が思い浮かびました。これからは一段階上の、質的なものを目指すようになるのかな。そうなって欲しいと思います。