福岡広州女性交流の再開

  女性交流というと私は決まって東方紅幼稚園を思い出します。1984年に初めて福岡市の女性の団が広州を訪問した時、その幼稚園を視察しました。可愛い子供たちの歓迎を受けて園内を視察していた私は、同行の王漢之さんから「来年は貴女の子供さんたちをここにお願いする予定だから、よく見ておいてね」と言われたのです。そこは月曜日から土曜日まで子供たちが集団生活をする寄宿制の幼稚園でした。「ええ?!」私はすっかりうろたえて、不安げな娘たちの姿を想像して涙をこぼしてしまいました。

 翌年は、「第2次福岡市女性の翼」を広州で出迎えました。広州白雲空港で、近づいてくる福岡の一行から漂う、何とも言えない明る温かいオーラを感じてとても嬉しかったものです。団の皆さんと一緒に娘たちのいる東方紅幼稚園を視察して、元気に歌ったり踊ったりしている2人の娘を見ていただきました。

 1986年には広州側からも女性の団が来福されるようになり、その後両市の女性の往来が何回も行われましたが、福岡側の財政事情もあって、徐々に縮小し、ついには途切れてしまいました。でも福岡の女性たちのパワーはすごいのです!行政がダメなら自分たちで、と「福岡市女性翼の会」は自力で活動を続けました。

 昨年5月に広州市婦女連合会のメンバー6人を含む広州市市民団がどんたくに参加されて、女性交流再開が提案されたとき、「翼の会」の存在がどんなに心強かったことでしょう。広州市婦女連合会は大組織ですから、「翼の会」としてはこの提案を受けて立つのに戸惑いがなかったわけではありません。でも私は、「交流は組織の大きさではなく中身よ!」と強気で説得しました。そもそも福岡市と広州市では人口も経済力もゼロ1個分違うのです。

 今回の調印式の実施に当たっては、中秋節の連休問題、ロシアビザ取得のために私が同行できそうもない問題等々色々な困難がありました。そしていよいよ出発という段階で尖閣列島の問題が、日中交流を重苦しく圧迫するようになりました。出発前日には旅行社の有高さんや糸山会長から「大丈夫?」と電話がありましたし、広州側からも「予定通り来ますか?」と念押しがありました。きっと参加者のご家族も不安だったことでしょう。でも福岡の女性たちは違うのです。「女性は平和のシンボルです。平和の力になりましょう!」と1人も欠けることなく参加して、元気に交流調印を成し遂げました。

 「問題はいつも起こる。歴史は問題解決の繰り返しです。自信をもって、漢方医のような広い視野で、ねばり強く取り組んでいかなければ」とはある中国の女性副市長の言葉です。私たちも腹を据えて、友好を守っていきましょう。             

         福岡広州ライチ倶楽部事務局長、広州市栄誉市民 千葉由紀子

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