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中秋節にドッキリ!

2010年8月27日 金曜日

 猛暑の日々にも僅かながら朝夕の涼しさを感じるこのごろ。一昨夜は満月だったので、涼風が吹いて皎々と明るい月明かりの中で家路をたどりました。

 ところで満月と言えば旧暦8月15日の中秋の名月こそ「月見る月」ですね。
人民中国のサイトに『中秋節は、春節(旧正月)、元宵節、端午節とならぶ「中国の四大伝統祭り」と呼ばれている。』とあり、中国では一家団欒して月餅を食べる習慣があります。8月半ばから街には月餅がでまわり、人々は互いに月餅を贈りあいます。この日のために遙か遠くの故郷に帰る人も多いのです。

 韓国でも中秋節を祝う習慣があり、前後3日間は国民の休日となっていて、人々は月を愛でるというより、先祖の墓に参って“チャレ”の行事をするのだそうです。「丁度日本のお盆みたいですよ」と韓国の友人が言っていました。

 今年は9月22日が旧暦8月15日に当たるそうで、その前後がお休みになっている韓国。ところが中国では、内需拡大や国民の便利さを図るためでしょう、時々“臨時の連休”がつくられるのです。祭りの前後の週末休暇を出勤日にし、その分の平日を祭りの日にくっつけて連続休日にする…。なんとも融通無碍な、頭の柔らかい計らいでしょう。
 
 でも今回は感心している場合ではありませんでした。「そいういう訳で、9月23日は連休中になったので、交流が出来なくなりました」という連絡を受けて、「えぇっ!」と叫んだまま言葉を失ってしまいました。

 女性の翼はその日の交流協定調印のために団員を募集し、研修をくりかえし、着々と準備を進めてきたのですから。旅行社も翌日までに最終的な確認を入れなければならないという時期になっていました。広州とマカオを入れ替えて、旅行日程を逆にしては、という方法も旅行担当者の頭をよぎったそうですが、この時期は日本ではシルバーウィーク、飛行機の変更が簡単にできるとはとても思えなかった由。

 連絡してきた相手に「何とか半日だけ、調印式だけでもお付き合い頂けませんか?!大事な両市の女性交流がダメになります!」と泣きつきましたが「相談してみますが…、自信はありません…」という何とも心もとない返事。そこで私は昨年7月の訪問時に会った広州市婦女連合会のトップに直訴することに決めたのです。幸いもらった名刺に携帯電話の番号が示されていました。直接電話を。受けてもらえるはず。

 副主任女史は電話に出てくれ、話をきいてくれ、「分りました、検討します。」と言って下さいました。「交流できます。調印式と昼食会をセットします。」という返事が来たのはそれからおよそ2時間後。あっという間の解決でした。直訴という非常手段をとって。先方の担当者には申し訳なかったけど、これでやっと一件落着。

 旅行社の人と共に胸をなでおろした2時間半ではありました。

広州大学生とバスハイク

2010年8月17日 火曜日

  7月22日から8月3日まで福岡に滞在して“会社員生活”をしている広州の10人の大学生に、企業文化や家庭生活とは別な、“もう一つの福岡”を味わってもらおうと、「アイランドシティ・志賀島バスハイク」を企画しました。
 8月1日、暑い暑い日でしたが、呼びかけに応えて参加して下さった福岡側は、福岡広州ライチ倶楽部会員・非会員合わせて24人。北京ニーハオや市役所の学習グループで中国語を勉強中の人たちや、広州生活7年、福岡に帰ってきて間もないというTさん親子も。ライチ倶楽部の事務局を担当して頂いている博多港ふ頭(株)のN課長さん達は、大きなクーラーに、前日から自宅の冷凍庫で凍らせたお茶や水をたっぷり用意して参加して下さいました。広州から来て日本語を勉強中の研修生や就学生も、久々に同郷の同世代の仲間に会って楽しそうでした。
 風邪気味で参加できなかった1人を除く9人の大学生たちが2グループに分かれて集合場所に現れ、電車に乗り遅れた後のグループの到着を15分ほど待って、さあ出発。始めにアイランドシティの国際庭園に行きました。

 アイランドシティというネーミングが人工島の “島”から来ていることは容易に想像できますが、中国語の名前をご存知でしょうか?実は“愛藍島城”と訳されていて、その発音が“アイランド”にとてもよく似ているのです。“藍”に青い海原を代表させ、“青い海を愛する街”という意味が感じられる、名訳だと思います。世界的に有名なコカコーラの名訳“可口可楽”にも匹敵するような…。因みにシティは殆どの場合“城”と訳されます。シティ=都市は中国語で“城市”といい、キャナルシティも“運河城”と訳されています。

 よけいな話はこれ位にして国際庭園ですが、2005年9月にここで緑化フェアが開催されたとき、福岡の7つの姉妹都市にお願いして、それぞれの特色を備えた庭園を造ってもらったのです。緑化フェアの閉幕後も6つの庭園(イポー市はたくさんの蘭を“グリングリン”の中に植栽してくれています)はそのまま残され、国際庭園として人々の目を楽しませています。と言ってもあまり知られていませんよね。知られていないから手入れもやや不十分らしく、雑草が目立っていました。もったいない。
 広州庭園は小さいながらも広州らしさを十分に具えた立派なものです。当時この造園作業に関わった人が今回のバスハイクに4人も居たなんて奇遇です。かく言う私も広州からやってきた設計士や技士さんと地元の作業者との意思疎通をお手伝いするために、屋根に登って通訳をした思い出があるのです。
 しかし何しろ暑かったので、そそくさと日陰に避難してグループ分けのじゃんけんをしました。総勢33人を6、7人の5グループに分け、バスの中でも昼食時も、そして海の中道海浜公園でのオリエンテーリングでもそのグループで一緒に居るようにしたのです。これで参加者間の空気は一挙にうち解け、バスの中も賑やかになりました。

 次に行ったのは志賀島の金印公園。道中、夏休みの土曜日とあってサンシャインプールに向かう車の渋滞にあいましたが、楽しい語らいがイライラを消してくれました。
金印公園は言わずと知れた、国宝金印の出土の地です。でもここに新中国建国期の功労者で九州大学医学部出身の郭沫若(かくまつじゃく)さんの詩碑があることを知っている人はあまり多くないかもしれません。
 この碑が建てられたのは日中国交正常化後4年目の1976年のことです。73年に中国を訪問した訪中団が郭沫若さんと会見したことをきっかけに、官民による「詩碑建設世話人会」が組織され、111団体、410個人からの浄財を募って、郭沫若さんの「永久に室内の戈を重ねて操らじ」という日中不再戦、平和への願いを詠んだ詩を大きな石に彫り込み、中国ゆかりの地である金印公園の一角に建立したのです。石碑の下には賛同者の名簿をいれた硝子の箱が埋められています。(独身時代の私の名前も含まれています。)

 郭沫若さんの詩碑のある場所から少し下った処には、福岡広州友好都市の調印をした時の広州市長(当時は革命委員会主任といいましたが)楊尚昆さんの書を刻んだ石が建てられています。
            帯水横陳  (帯水よこたわり)
            両市相望  (両市相望む  )
       友誼永恒  (友誼永恒なり )
広州市の越秀公園のなかにある“金印遊園地”には進藤一馬元市長の俳句が石に刻まれて建立されているのですが、この時代は石に刻んで記録を残すという、中国古来の方法に倣ったやり方が多かったのだなと今にして思います。
 楊尚昆市長はのちに国家主席となった方で、広州の学生達は楊主席として知っていたようですが、広州市長だったことは知らない人が多かったようでした。

 ここで記念写真を何枚も撮ったあと、大岳の“海辺の里”に移動して、バーベキューの昼食をいただきました。海の幸をつかった珍しいバーベキューでした。当初は公園の木陰で持参のお弁当をと計画していたのですが、インターンシップ生をホームビジットさせてくださったSさんのお母様がバーベキューに皆を招待してくださったのです。
大人数なので学生の分だけご馳走して頂くことにしました。暑い日でしたので、炉を囲んでの焼き肉、焼き魚もかなり熱くはありましたが、これぞまさしく漢方医学に言う「以熱攻熱」~熱で熱を退散させる~でしょう。

 お腹一杯になったところでいよいよ今日のハイライト、海の中道海浜公園でのオリエンテーリングです。真昼の公園の中を、地図をみながら、隠されたアルファベットの文字を求めて右往左往したのですが、暑いなりに楽しく、あっという間に1時間余が過ぎました。

 帰りのバスの中ではお互いのメールアドレスを交換する姿があちこちで見られ、いい交流だったんだなと満足を感じると共に、メールの交換や色々な連絡が末永く続くよう心から念じました。それこそが私たち福岡広州ライチ倶楽部の求めるものだからです。

頭の痛いゴミ処理問題

2010年7月20日 火曜日

 7月6日から8日まで広州市の議会に当たる「広州市人民代表大会常務委員会」の代表団一行7名が来福し、福岡市議会と交流しました。今回の交流テーマは“循環型経済の発展”。主に廃棄物処理について双方が現状と課題を話し合いました。 

 広州市はこれまで“埋立て”を中心にすべてのゴミを処理してきたそうで、分別収集と焼却処理をすすめることが今後の課題だそうです。常住人口が1000万人を超える広州ではゴミの発生量もハンパではなく、いくつのも埋立て場も既に満杯だとのこと。 その周辺は悪臭や汚水、メタンガスの発生などで大変なようすです。 

 広州市政府や人大常務委員会(議会に相当)では今、ゴミ減量と焼却処分に力を入れ始めており、昨年でしたか、広州市の周辺―番禺(ばんぐう)区に焼却場を建設する計画を発表したところ、周辺住民の猛反対にあって、計画を変更せざるを得なくなったと聞いていました。 

  このことが背景にあってか、今回の交流協議では広州側から「焼却場の場所はどのようにして決めているのですか?」「誰もいないところに建設して、後から住民が入ってくるのですか?」「反対は出ませんか?」等々、とても具体的で差し迫った質問がたくさん出ていました。 

 番禺区での問題は日本では「住民が権利を主張し始めた」という、ちょっと別の角度から注目されていましたが、環境衛生の行政担当者にとってはほとほと頭の痛い問題のようです。 

 「でも、その前に出来ることがあるのでは?」と私は通訳をしながら思いました。 

 皆さんは“「福岡方式」の埋立て場”ってご存知ですか?分厚いゴミの層に穴の空いた管を埋設し空気を通すことで、埋立て場の悪臭や汚水、メタンガスの発生などを大幅に改善する方法です。ローテク、ローコストで効果が大きいことから、日本国内の埋立て場の基本構造になっているそうで、近年はアジア太平洋諸国にも紹介され効果を上げているのだそうです。 

 広州市との間でも1995年に両市衛生局が“協力交流に関する覚書”をかわしてこの技術移転に努め、2000年には広州の埋立て場建設責任者が1ヶ月福岡に滞在しながら専門的な技術を学びました。その後…?きっと現場に応用されてそれなりの成果を上げていると信じましょう。 

 ただ、広州の大勢が焼却場建設に移っていることは確かなようです。もちろん分別収集して、再利用する物と焼却する物と、埋立て処分する物に分ける、これは是非とも必要なことです。でもすぐには実行できません。ゴミを分けて捨てるって、言うは安く…ですから。その準備を進めつつ、一方ですぐ出来ることから始めては? 

 ローコスト、ローテクの「福岡方式」で今ある悪評高い埋立て場を改善し、公害の発生をおさえながら、埋立て場の地面を安定させれば、その場所にいつか焼却場も建設できるのでは? 

 素人の私が考えるほど簡単なことではないかもしれません。ただ、ゴミの問題、環境の問題が広州にとって喫緊の課題になっていることは確かだし、それに「福岡方式」と私たちの経験がもっと役に立てれば、こんなに嬉しい事はないと思っています。