2010年10月 のアーカイブ

第4回飲茶会へのお誘い

2010年10月28日 木曜日

福岡広州ライチ倶楽部恒例の飲茶会。このほどやっと会場を予約することができましたので、下記の要領で実施したいと思います。

今回はこれまでに覚えた料理の応用編として、レシピを見ながら自力で調理をしましょう。

また、広州からの留学生、研修生を招いて、身近な交流をしましょう。

お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。準備の都合がございますので、ご参加頂ける方は11月10日までに電子メールかFAXでご連絡をお願いいたします。

                          記

 1.日時      2010年11月23日(火・祭日) 調理開始 : 午後3時から

                                    飲茶&交流 : 午後6時半から

2.場所      福岡市婦人会館あいれふ 調理実習室 および 研修室A

        (福岡市中央区舞鶴2丁目5-1  TEL 712-2662)

3.会費      1人1000円

            但し、留学生は無料といたします。

広州市が中国の商業都市ランキングで1位に

2010年10月14日 木曜日

 インターネットの海外ニュースを眺めていて標記のニュースをゲットしました。
  経済誌『フーブス』による「2010年中国商業都市ランキング」で、広州市が上海市を抑えて初めて1位に輝いたのだそうです。都市の規模、消費力、物流、経営コストなど8つの指標を基準とした比較だそうで、ベスト10は:広州、上海、深圳、杭州、蘇州、北京、無錫、寧波、南京、天津。
 広州は経済活力、技術革新能力の向上、経営コストの低さに加えてアジア大会開催という要素も加わったことが首位獲得の要因となったと見られており、首位から後退した上海は経営コストの高騰が影響したと言われています。
 また周辺都市を巻き込んだ広域的な経済圏の効果が珠江デルタで顕著に見られ、これは上海を中心とする長江デルタにおいても同様であるとのこと。こうした広域経済圏の形成は北京、天津周辺ではまだ十分には進んでいないようです。

福岡広州女性交流の再開

2010年10月7日 木曜日

  女性交流というと私は決まって東方紅幼稚園を思い出します。1984年に初めて福岡市の女性の団が広州を訪問した時、その幼稚園を視察しました。可愛い子供たちの歓迎を受けて園内を視察していた私は、同行の王漢之さんから「来年は貴女の子供さんたちをここにお願いする予定だから、よく見ておいてね」と言われたのです。そこは月曜日から土曜日まで子供たちが集団生活をする寄宿制の幼稚園でした。「ええ?!」私はすっかりうろたえて、不安げな娘たちの姿を想像して涙をこぼしてしまいました。

 翌年は、「第2次福岡市女性の翼」を広州で出迎えました。広州白雲空港で、近づいてくる福岡の一行から漂う、何とも言えない明る温かいオーラを感じてとても嬉しかったものです。団の皆さんと一緒に娘たちのいる東方紅幼稚園を視察して、元気に歌ったり踊ったりしている2人の娘を見ていただきました。

 1986年には広州側からも女性の団が来福されるようになり、その後両市の女性の往来が何回も行われましたが、福岡側の財政事情もあって、徐々に縮小し、ついには途切れてしまいました。でも福岡の女性たちのパワーはすごいのです!行政がダメなら自分たちで、と「福岡市女性翼の会」は自力で活動を続けました。

 昨年5月に広州市婦女連合会のメンバー6人を含む広州市市民団がどんたくに参加されて、女性交流再開が提案されたとき、「翼の会」の存在がどんなに心強かったことでしょう。広州市婦女連合会は大組織ですから、「翼の会」としてはこの提案を受けて立つのに戸惑いがなかったわけではありません。でも私は、「交流は組織の大きさではなく中身よ!」と強気で説得しました。そもそも福岡市と広州市では人口も経済力もゼロ1個分違うのです。

 今回の調印式の実施に当たっては、中秋節の連休問題、ロシアビザ取得のために私が同行できそうもない問題等々色々な困難がありました。そしていよいよ出発という段階で尖閣列島の問題が、日中交流を重苦しく圧迫するようになりました。出発前日には旅行社の有高さんや糸山会長から「大丈夫?」と電話がありましたし、広州側からも「予定通り来ますか?」と念押しがありました。きっと参加者のご家族も不安だったことでしょう。でも福岡の女性たちは違うのです。「女性は平和のシンボルです。平和の力になりましょう!」と1人も欠けることなく参加して、元気に交流調印を成し遂げました。

 「問題はいつも起こる。歴史は問題解決の繰り返しです。自信をもって、漢方医のような広い視野で、ねばり強く取り組んでいかなければ」とはある中国の女性副市長の言葉です。私たちも腹を据えて、友好を守っていきましょう。             

         福岡広州ライチ倶楽部事務局長、広州市栄誉市民 千葉由紀子

女性交流の覚書に調印

2010年10月6日 水曜日

 9月22日~24日、日本では秋分・お彼岸、東アジアでは中秋節にあるこの時期に、糸山マチ子会長を団長とする「福岡市女性翼の会訪問団」16人に日本旅行の有高さん(当ライチ倶楽部理事)と私(千葉=ライチ倶楽部事務局長)が同行して広州を訪問し、広州市婦女連合会との間で、今後の交流をめざす覚書の調印式を行いました。

 広州花園酒店の一室に設けられた舞台には、花を飾った机が用意されており、相互の主たるメンバー紹介、李建蘭主席の挨拶に続いて、ビデオによる婦女連合会の紹介がありました。続いて関副会長による福岡市女性翼の会の紹介と糸山会長の挨拶があり、それから李主席と糸山会長が覚書にサインをしました。双方とも立会人4人が壇上に上がりました。それから記念品の交換と写真撮影を行って、無事に調印式は終了しました。

 昨年5月のどんたくに広州市の女性6人が参加して、女性交流の再開が提案されてから、7月にはライチ狩りに参加した翼の会のメンバーが婦女連合会を訪問して相互交流の意向を確認後、本格的な準備が始まったのです。 覚書の文案を検討し、訪問の日程を何度もやりとりして決定し、団員募集、数回の事前研修、記念品の準備と進めて、やっとこの日を迎えたのです。

 「やっとこの日を迎え」るのに二転三転、直前になって色々な問題にぶつかりました。中秋節が連休になったので日程を変えて欲しい、と広州側から連絡を受けたのは8月19日。私は一大決心して、日程変更などあり得ない事情を、婦女連の副主任に電話で直訴しました。「検討します」という回答から「23日に調印式をしましょう」という連絡を受けるまで待つこと2時間半。素早い先方の決断でしたが、それはとても長い2時間半でした。

 ほぼ同時に発生した、私のロシアビザ取得のために旅券が手元にない=広州に行けないという問題も何とかクリアでき、いよいよ出発という20日頃から尖閣列島をめぐって日中交流に暗雲が漂い始めました。とても悪い雰囲気でした。でも双方ともやる気満々。調印式はとてもいいムードのうちに実施されました。福岡の女性たちは、中国の人々を刺激しないように、準備していたお揃いのピンクとブルーのTシャツの上に上着をはおるという賢明さも発揮しました。宴席で合唱できればと準備していた歌集のうち「“桜”はこの時期だから微妙…」と広州側から避けられましたが、結局おしゃべりと乾杯に終始して昼食会は終了しました。

 日本語を少し学んだことがある李建蘭主席は「“桜”の歌は知っていますよ。」と小声で口ずさんでいらっしゃいました。まだ日本へ行ったことがないという李主席。「来年は是非福岡でお会いしましょう!」糸山会長は福岡での再会を期待して、堅い握手を交わしました。

   

 

日高さんの講演を聞いて思うこと

2010年10月5日 火曜日

「国際交流」というと、異なる国の人たちが向かい合ってお互いを理解し合う活動。「国際協力」というと発展途上国に行って技術指導など援助を行う活動…。今まで、なんとなくそんな風に自分でカテゴリー分けしていました。日高さんの話を聞いて、とても新鮮だったのは、彼らがやっていることは、そのどちらでもないと感じたからです。

 中国でのハンセン病問題は、聞く限りにおいて、日本で起こった問題と酷似しています。治療が難しかった頃、隔離され、忘れ去られたハンセン病患者。中国でも、病気の治療法が確立された後も差別や貧困と闘いながら暮らしている元ハンセン病患者の村があります。日高さんは、NPO法人を立ち上げ、そんな村々を尋ね、短期滞在し援助活動をしながら村民と一緒に生活するという活動を行っています。今では、日本の学生団体を巻き込み、中国の学生を巻き込み、大きな活動へと進化しつつあるそうです。

 講演の冒頭、日高さんはこうした活動を行っているきっかけを語ってくれました。日高さんが最初に中国に来た時、二人の中国人女性から声をかけられたそうです。二人は、田舎から都会に出稼ぎに来たが、頼りにしていた知人に連絡がつかず、帰るお金もなく困っていると訴えてきました。迷った末、日高さんはお金を渡してしまいました。周りの友人に話すと、それは騙されたのだ、と言われ更に悩みます。しかし、数年後、聞いていた彼女たちの田舎の連絡先に電話をしてみると、果たして彼女たちは無事に家に帰っており、その時のことを非常に感謝されたそうです。その時日高さんは、「自分が感じたことに従って行動することの正しさ」のようなものを感じたと言います。

 私が感じた新鮮さは、まさにそこにあります。日高さんのような活動は、結局、「目の前で困っている人を何とかしてあげたい」という極めてシンプルでリアルな感情を理由に繋がっています。異国の人だとか、言葉が通じないとかは関係ありません。学生なので、指導する医療技術や土木技術もありません。ただ、行って、共に暮らし、何かできることがないかを考えながら進んでいく。そこには、国際交流とか、国際協力とかの看板を掲げた派手さはありません。でも、最後にはとても素晴らしい国際交流活動、国際協力活動となっています。

 現在、グローバル化はどんどん進んでいて、国境の垣根も低くなってきています。また、ネットの発達でお互いの文化や歴史も知りたいことは簡単に調べることも可能になりました。これからは、互いを知るためだけの交流から、一緒になって何かの問題解決に取り組んでいく、そんなもう一段進んだ国際交流が増えていくのかもしれない、とそんな予感がしました。福岡と広州の間にもそんな交流が広がっていって欲しいと思います。       (by奥田)