広州の友人たちからお見舞いメール

2011年3月16日

3月11日に発生した東北関東地方の巨大地震・津波等の災害にたいし、広州の友人たちから

お見舞いのメールがたくさん届いています。ご本人の承諾を得てここに掲載し、ご紹介します。
       (訳文)

  日本が巨大地震という天災に見舞われている今、世界の人々は皆案じながら注目しています。古い友人として日本の被災地の方々に深い同情とお見舞いを申し上げます。日本の皆さんは必ず困難に打ち勝つと堅く信じています。  

 広州の旧友 王漢之

(訳文)

 日本で地震、津波、核爆発、火山の噴火等多くの災難が連続して起こっている今、一衣帯水の中国人民は皆事態の推移を心配しながら見守っています。福岡地方が平安だと知って私たちはとても安心しました。皆さまが警戒しつつ身を守られますように。

 3月11日以来私は毎日テレビの日本関連ニュースを見ながら、皆さまのことを思い心配しています。報道を通して、大自然の気ままな横暴さと対照的に、幾重にも襲撃を受けた日本国民が沈着に秩序を保っておられる姿に強靱な国民性を見て取り、心から敬服しています。 

 日本の皆さまが大きな災害に臨んで示されたねばり強く秩序正しい、素晴らしい気風で、災害の不安が慰められ癒されますようお祈りします。    広州の旧友 王漢之

 (訳文)

 日本の東北地方で起こった地震と津波のニュースを見て、私たち家族は辛い思いです。地震は無情ですが人には情があります。日本に皆さんが順調にこの難関をくぐり抜けられますように!貴方と友人の皆さまのご健康を祈ります!

 広州大学観光学部観光リゾート管理学科 呉水田・妻陳平平 

 

岡の皆様、おはようございます。広州の楊昱霖です。

先ほどニュースから、日本はとてもひどい地震と津波にあったと聞きました。福岡についてのニュースはありませんが、福岡は大丈夫ですか、皆様は大丈夫ですか。               楊昱霖(2009年のインターンシップ生)

日本の皆さん:

 ニュースで天災の報道を見ました。皆さん及びご家族はご無事でしょうか。とても心配であります。壊滅的な災難を目の前にしても、団結し、強く向き合い、最後まで諦めず、何よりも命を尊重する日本人の皆さんには心を打たれました。皆さん、皆さんのご家族及び友人、行方不明の人たちの無事を心から祈っております。 遠く離れていても、私たちの心は皆さんと一緒です、私たちに、何か力になれることがありましたら申してください、海の彼方から応援し、祈っています。

 李 湧、金敏華、李一瀛、李彦瀛 より
                                   

11日午後2時46分ごろ、日本で東北地方を中心にマグニチュード9.0の大地震が発生しました。近年、中国でも地震災害が相次ぎ、実際に災害を身近に感じるようになり、これまでにも増して、災害へ関心を持つ人が多くなっています。隣国である日本で起きた最大規模の大地震に中国の国民も大きな関心を寄せています。ネットの掲示板やミニブログでは、多くの人は日本と日本の国民へお見舞いや応援のメッセージを書き込んでいます。

                   中国広汽トヨタ自動車有限会社

                     許 克亮(キョ カツリョウ)

  

盧麗平さんの琵琶演奏会

2011年3月8日

広州、深センなど広東地方を中心に演奏活動を展開している琵琶奏者ー盧麗平さんの来日に合わせてディナーショー形式のコンサートを開くことになりました。

中国の民族楽器のひとつである琵琶は、古風な印象のつよい日本の琵琶とちがって、現代でも一般的に演奏されています。ギター、バラライカ、或いは日本の箏にも似た音色の琵琶による独奏は、川の流れのようにゆったりと、心に浸み入ります。

春の宵のひととき、日頃の緊張を忘れて、琵琶の音に癒されてみませんか?

日時:2011年4月6日(水)18:30~21:00
会場:ホテルニューオータニ博多 地下1階“和多伴”
会費:4000円(ライチ倶楽部非会員は5000円)
申込み:3月末までに名前と連絡先電話番号を明記の上、FAXでお申し込みください。
    (FAX:0940-36-3049)

広州花市

2011年2月10日

今回は広州で語学研修中の福岡市職員中村和史さんに、春節前に行われた広州の花市についてレポートしていただきました。

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広州は年中花や緑で満開であり「花城」とも言われています。春節には、花を飾って新年を迎えるという習慣があり、花市が至る所で開かれます。大規模なものは、道路を封鎖して開かれています。菊や百合、牡丹、水仙など様々な種類の花が売られており、安い花は10元くらいですが、高いものになれば、500元くらいする花も売っています。また、花だけでなく、正月飾りや玩具などの出店もあります。

花市は春節前の3日間程度開かれ、大晦日の夜になると花を処分するためにかなり値下げして投げ売りが始まります。花を安く買いたいと思うなら、大晦日の夜に行くのがベストです。売れ残った花は、以前はハチなどをたたき壊し枝を折ってその場に放置されていたみたいですが、最近は養老院や福祉施設に送られるそうです

私も初めて花市に行ってみましたが、人の多さに驚きました。道路の真ん中にお店が並びその両側を人が歩くようになっていますが、花市はたくさんの人で溢れており、肝心の花を見ることができなかったりします。花を買うには、人をかき分けて行かないといけません。花市には、花を買いに来ている人だけでなく、若者がお祭りのように友達何人かで遊びに来ていたり、カップルのデートスポットにもなっていたりします。日本で言う初詣みたいな感じでした。

 花市の入り口に創られたモニュメント。いつもは普通の道路ですが、  花市専用に!

たくさんの花屋が並んでおり、その規模の大きさに驚きました。

広州人の春節のごちそう

2011年2月8日

 今年の春節は2月3日。この日がいわゆる旧正月の元旦でした。中国では2月2日~8日の7日間が連休とされ、それぞれが故郷に帰ったり旅行に出たりしていわゆる民族大移 動現象が起こります。日経新聞の記事には「延28億人が大移動」という見出しが出ていました。その代わりに1月30日(日)と2月12日(土)は振替出勤となるのだそうです。  

 大晦日に当たる2月2日には一家団欒でご馳走を食べるのだそうです。麦食文化圏である北方では餃子がメインになるそうですが、長江以南の米食文化圏ではもち米粉で作る“年糕”(蒸し餅)が主役になります。全国各地にそれぞれの特色あるご馳走があるようですが、広州では家族そろってレストランで外食、という光景も多く見られます。

  広州の伝統的な春節の食べ物を調べてみました。一年中正月のようなご馳走を食べられるように なった今日でも、春節ならではの“点心”は各家庭で準備されるそうです。ここでちょっとご紹介 してみましょう。

1.煎堆:いわゆる胡麻団子です。糯米粉をこねて、中に餡を入れた物と、餡を入れずに空気を吹 き込んだ風船のような物の2種類があって、こんがり揚げた胡麻団子のきつね色を金色に見立て、 「団子がごろごろ、金銀が家中に」と言って、財録がもたらされることを念じた縁起物です。広州 人は漢方医学で言う“熱気が強い食べ物”として揚げ物を警戒するのですが、これを作るときは、 子供は揚げ鍋から遠ざけられ、一晩おいてよく冷やしてから食べるのだそうです。

2.年糕:もち米粉に味をつけて蒸し上げたもの。“年糕”の発音が“年年高昇”―年ごとに出世するという言葉に通じることから、一家繁栄の願いを込めて中国全土で春節に食されます。北方ではもち黍なども使い甘い味つけが好まれますが、南方には甘味塩味両方があり、広東地方のものはさらに特徴的で、“大根餅”“慈姑餅”“里芋餅”などハムや野菜を入れたものが好まれます。近年、これを魚の形に仕上げて“年年有魚”(毎年余裕がある)の意味も込め、年賀の贈り物にする人が増えているそうです。

3.油角:餃子の油揚げ。ピーナッツとゴマを砕いて砂糖に混ぜた餡を、小麦の皮で包み、油で揚げます。北国の人々の餃子作り同様、家族総出で小麦粉をこね、皮を作り、餡を包み…楽しみながら作るのだそうです。

4.蛋散:市販の餃子の皮のように薄くのばした小麦粉の生地を細く切ってひねり、油で揚げた物。胡麻入りの塩味と砂糖味の2種類あって、何れもサクサクして香ばしいそうで、崩れやすいので広州人は小心者、大事をなせない人を“蛋散”と呼んでからかったりするそうです。

5.糖環:もち米粉をこねて網状に仕上げた一種のかりんとうかと思われます。蛋散や糖環、西瓜の種や南瓜の種を綺麗な箱に入れ“冬果”として正月の間常備しておき、年賀の来客をもてなすのだそうです。

第4回飲茶会を行いました

2010年12月8日

11月23日、勤労感謝の日に飲茶会を行いました。
 毎年2回はやりたいと思っているのですが、今年は行事が多くてなかなか実施できず、これが初めて。通算して第4回目となりました。
 今回は点心づくりの先生なし。「これまでの経験で何とかやってみよう」と、インターネットでみつけたレシピを見ながら、参加者の自力で点心づくりに挑戦しました。
 参加申込み者は39人。いつも余るので少なめに作ることにして30人分とし、4人分で紹介されている材料の分量を7.5倍しながら買い物し、それをメニュウー別に分けてみると、なぜか足りなかったり多すぎたり。???計算を間違えたのかなア???
 そういうわけで大根餅には分量の半分しか大根を入れなかったので、どんな物ができるかとても心配しました。しかも電機炊飯器が頼りなくて…。でも結果的には、ちゃんとできました。大根不足の味ではありましたが、それなりに食べられましたし。
 大根餅づくりを担当した男性4人は、料理の経験の少ない日本人と包丁を握ったことがないという広州人留学生でした。「中国人男性は皆料理が上手」と思っていたので、ビックリ。この面々に鬼おろしで大根を擦る代わりに包丁で細かくみじん切りにしてもらったのですが、初めはとても危なっかしい包丁さばきだったのが、終わる頃には随分上達して、スピーディになっていました。
 焼きビーフンを担当した男性は、家ではまったく料理はしないそうですが、1回目からずっと飲茶会で点心づくりに参加してきたせいか、とても手慣れた様子です。「女性翼の会」のメンバーが毎回全体をリードして下さっていますが、男女共同参画社会を目指す翼の会の主旨にぴったりの姿が、ここに見られるわけですよネ。
 できあがった点心と調味料の残りの(と称する)紹興酒・梅酒、そしてもちろんプーアル茶も食卓に並べて、6時半からは広州から来ている留学生6人との交流会となりました。後ろの壁には、奥田さんがダウンロードしてくれた広州アジア競技大会開幕式の映像を流していたのですが、話と食事に花が咲いて、誰も画面を見ていなかったようです。
 今回も料理がたくさん余ってしまいましたので今後はもう少し考えなければ。何れにしても盛況でよかったなと充実感を覚えながら家路につきました。

広州アジア大会の開幕

2010年11月17日


 第16回アジア競技大会の開幕式が11月12日に行われ、27日の閉幕まで16日間、スポーツの祭典が繰り広げられます。私は福岡市の靏川副市長に随行して10日~13日の3泊4日で広州を訪問し、開会式に参加しました。

 開会式はやはりすごかったですね。 

                     水と火の祭典、という感じ。
 舞台が水の中だったり上だったり、乾いて水がなくなったりと変化するのに本当に驚きました。
 花火の数もハンパではなく、新設のテレビ塔から横向きに発射される花火ははじめて見ました。爆竹を好む民族ですから、景気よく鳴り続けないといけないのですよね。
お金かかってるなアという印象でした。

 今回広州の街を見て「綺麗になった」ことにとても驚きました。
 準備段階で何度も広州を訪問するたびに「街のお化粧をしています。」と聞いていましたが、本当に、古い街並も表が綺麗な壁に変わっていて見違えるほどでした。樹木も緑地帯も手入れが行き届いていて、ゴミはなく… 頑張ったんですね、広州は。

 これまで広州の発展の経過をずっと見てきた私には「集大成」という言葉が思い浮かびました。これからは一段階上の、質的なものを目指すようになるのかな。そうなって欲しいと思います。

第4回飲茶会へのお誘い

2010年10月28日

福岡広州ライチ倶楽部恒例の飲茶会。このほどやっと会場を予約することができましたので、下記の要領で実施したいと思います。

今回はこれまでに覚えた料理の応用編として、レシピを見ながら自力で調理をしましょう。

また、広州からの留学生、研修生を招いて、身近な交流をしましょう。

お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。準備の都合がございますので、ご参加頂ける方は11月10日までに電子メールかFAXでご連絡をお願いいたします。

                          記

 1.日時      2010年11月23日(火・祭日) 調理開始 : 午後3時から

                                    飲茶&交流 : 午後6時半から

2.場所      福岡市婦人会館あいれふ 調理実習室 および 研修室A

        (福岡市中央区舞鶴2丁目5-1  TEL 712-2662)

3.会費      1人1000円

            但し、留学生は無料といたします。

広州市が中国の商業都市ランキングで1位に

2010年10月14日

 インターネットの海外ニュースを眺めていて標記のニュースをゲットしました。
  経済誌『フーブス』による「2010年中国商業都市ランキング」で、広州市が上海市を抑えて初めて1位に輝いたのだそうです。都市の規模、消費力、物流、経営コストなど8つの指標を基準とした比較だそうで、ベスト10は:広州、上海、深圳、杭州、蘇州、北京、無錫、寧波、南京、天津。
 広州は経済活力、技術革新能力の向上、経営コストの低さに加えてアジア大会開催という要素も加わったことが首位獲得の要因となったと見られており、首位から後退した上海は経営コストの高騰が影響したと言われています。
 また周辺都市を巻き込んだ広域的な経済圏の効果が珠江デルタで顕著に見られ、これは上海を中心とする長江デルタにおいても同様であるとのこと。こうした広域経済圏の形成は北京、天津周辺ではまだ十分には進んでいないようです。

福岡広州女性交流の再開

2010年10月7日

  女性交流というと私は決まって東方紅幼稚園を思い出します。1984年に初めて福岡市の女性の団が広州を訪問した時、その幼稚園を視察しました。可愛い子供たちの歓迎を受けて園内を視察していた私は、同行の王漢之さんから「来年は貴女の子供さんたちをここにお願いする予定だから、よく見ておいてね」と言われたのです。そこは月曜日から土曜日まで子供たちが集団生活をする寄宿制の幼稚園でした。「ええ?!」私はすっかりうろたえて、不安げな娘たちの姿を想像して涙をこぼしてしまいました。

 翌年は、「第2次福岡市女性の翼」を広州で出迎えました。広州白雲空港で、近づいてくる福岡の一行から漂う、何とも言えない明る温かいオーラを感じてとても嬉しかったものです。団の皆さんと一緒に娘たちのいる東方紅幼稚園を視察して、元気に歌ったり踊ったりしている2人の娘を見ていただきました。

 1986年には広州側からも女性の団が来福されるようになり、その後両市の女性の往来が何回も行われましたが、福岡側の財政事情もあって、徐々に縮小し、ついには途切れてしまいました。でも福岡の女性たちのパワーはすごいのです!行政がダメなら自分たちで、と「福岡市女性翼の会」は自力で活動を続けました。

 昨年5月に広州市婦女連合会のメンバー6人を含む広州市市民団がどんたくに参加されて、女性交流再開が提案されたとき、「翼の会」の存在がどんなに心強かったことでしょう。広州市婦女連合会は大組織ですから、「翼の会」としてはこの提案を受けて立つのに戸惑いがなかったわけではありません。でも私は、「交流は組織の大きさではなく中身よ!」と強気で説得しました。そもそも福岡市と広州市では人口も経済力もゼロ1個分違うのです。

 今回の調印式の実施に当たっては、中秋節の連休問題、ロシアビザ取得のために私が同行できそうもない問題等々色々な困難がありました。そしていよいよ出発という段階で尖閣列島の問題が、日中交流を重苦しく圧迫するようになりました。出発前日には旅行社の有高さんや糸山会長から「大丈夫?」と電話がありましたし、広州側からも「予定通り来ますか?」と念押しがありました。きっと参加者のご家族も不安だったことでしょう。でも福岡の女性たちは違うのです。「女性は平和のシンボルです。平和の力になりましょう!」と1人も欠けることなく参加して、元気に交流調印を成し遂げました。

 「問題はいつも起こる。歴史は問題解決の繰り返しです。自信をもって、漢方医のような広い視野で、ねばり強く取り組んでいかなければ」とはある中国の女性副市長の言葉です。私たちも腹を据えて、友好を守っていきましょう。             

         福岡広州ライチ倶楽部事務局長、広州市栄誉市民 千葉由紀子

女性交流の覚書に調印

2010年10月6日

 9月22日~24日、日本では秋分・お彼岸、東アジアでは中秋節にあるこの時期に、糸山マチ子会長を団長とする「福岡市女性翼の会訪問団」16人に日本旅行の有高さん(当ライチ倶楽部理事)と私(千葉=ライチ倶楽部事務局長)が同行して広州を訪問し、広州市婦女連合会との間で、今後の交流をめざす覚書の調印式を行いました。

 広州花園酒店の一室に設けられた舞台には、花を飾った机が用意されており、相互の主たるメンバー紹介、李建蘭主席の挨拶に続いて、ビデオによる婦女連合会の紹介がありました。続いて関副会長による福岡市女性翼の会の紹介と糸山会長の挨拶があり、それから李主席と糸山会長が覚書にサインをしました。双方とも立会人4人が壇上に上がりました。それから記念品の交換と写真撮影を行って、無事に調印式は終了しました。

 昨年5月のどんたくに広州市の女性6人が参加して、女性交流の再開が提案されてから、7月にはライチ狩りに参加した翼の会のメンバーが婦女連合会を訪問して相互交流の意向を確認後、本格的な準備が始まったのです。 覚書の文案を検討し、訪問の日程を何度もやりとりして決定し、団員募集、数回の事前研修、記念品の準備と進めて、やっとこの日を迎えたのです。

 「やっとこの日を迎え」るのに二転三転、直前になって色々な問題にぶつかりました。中秋節が連休になったので日程を変えて欲しい、と広州側から連絡を受けたのは8月19日。私は一大決心して、日程変更などあり得ない事情を、婦女連の副主任に電話で直訴しました。「検討します」という回答から「23日に調印式をしましょう」という連絡を受けるまで待つこと2時間半。素早い先方の決断でしたが、それはとても長い2時間半でした。

 ほぼ同時に発生した、私のロシアビザ取得のために旅券が手元にない=広州に行けないという問題も何とかクリアでき、いよいよ出発という20日頃から尖閣列島をめぐって日中交流に暗雲が漂い始めました。とても悪い雰囲気でした。でも双方ともやる気満々。調印式はとてもいいムードのうちに実施されました。福岡の女性たちは、中国の人々を刺激しないように、準備していたお揃いのピンクとブルーのTシャツの上に上着をはおるという賢明さも発揮しました。宴席で合唱できればと準備していた歌集のうち「“桜”はこの時期だから微妙…」と広州側から避けられましたが、結局おしゃべりと乾杯に終始して昼食会は終了しました。

 日本語を少し学んだことがある李建蘭主席は「“桜”の歌は知っていますよ。」と小声で口ずさんでいらっしゃいました。まだ日本へ行ったことがないという李主席。「来年は是非福岡でお会いしましょう!」糸山会長は福岡での再会を期待して、堅い握手を交わしました。